2010年01月18日

アーカイブ

当ブログはウイルスに感染しデータの復旧は出来ましたが
アーカイブとして存在させるにとどめます。

この記事にコメントされてもなんら対応はありません
ことをご承知おきください。


2010年01月01日

ネットワークの問題発生

ライターがネットワークの問題で当分の間更新ができない状況です。

ここの記事を楽しみにされている皆さん、問題解決までしばらくお待ちください。

管理者より

2009年12月31日

チェス世界選手権争奪史(137)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 そして次はケレス戦。

シチリア防御
白 ケレス
黒 コトフ

1.e4 c5 2.Nf3 d6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 a6
YFMF137A.JPG
6.Be2 Qc7 7.Bg5 Nbd7 8.O-O e6 9.Bh5 Qc4
YFMF137B.JPG
10.Nxe6 Qxe6 11.Nd5 Kd8 12.Bg4 Qe5
YFMF137C.JPG
13.f4 Qxe4 14.Bxd7 Bxd7 15.Nxf6 gxf6
YFMF137D.JPG
16.Bxf6+ Kc7 17.Bxh8 Bc6 18.Qd2 Bh6
YFMF137E.JPG
19.Rae1 Qg6 20.Re7+ Kd8 21.Rfe1 a5
YFMF137F.JPG
22.Bd4 Ra6 23.Qf2 Bf8 24.Bb6+ Kc8
YFMF137G.JPG
25.Re8+ Bxe8 26.Rxe8+ Kd7 27.Rxf8 黒投了
YFMF137H.JPG

(この章続く)

2009年12月30日

上杉晋作くんのUSCLかく戦えり(3/7)

YFU0011A.JPG
自分の机で対局開始を待つFM上杉晋作(写真は全部上杉くんのお母さんの撮影)

YFU0011B.JPG
みんなが見ている?

YFU0011C.JPG
今回は図書館入り口脇が対局場

YFU0011D.JPG
チームの勝利が決まる前のIMレイ・カウフマンの終盤の模様を見つめるキングフィッシャーズの面々

YFU0011E.JPG
チームの勝利を喜び合うキングフィッシャーズの面々、左から右へチャン、エンクバット、L.カウフマン、R.カウフマン、上杉、ハリス

第3局(対アリゾナ・スコーピオンズ戦)
シチリア防御スベシュニコフ戦法 [B33]
白 NMレオ・マルティネス(2230)
黒 FM上杉晋作(2354)
2009年9月21日

1.e4 c5 2.Nf3 Nc6 3.d4 cxd4 4.Nxd4 Nf6 5.Nc3 e5
YFU0011F.JPG
上杉くん得意のスベシュニコフです。6.Ndb5 d6 7.Bg5 a6 8.Na3 b5 9.Bxf6 gxf6 10.Nd5 f5
YFU0011G.JPG
11.c3 Bg7 12.exf5 Bxf5 13.Nc2 O-O 14.Nce3 Be6
YFU0011H.JPG
15.Bd3 f5 16.O-O f4 17.Qh5 Rf7 18.Bxh7+ Kf8
YFU0011I.JPG
16...f4 に誤算があったようで黒が苦戦に陥りました。
19.Bf5 Qe8 20.Bxe6 Qxe6 21.Qg4 Qh6 22.Nf5 Qe6 23.Nfe3 Qh6
YFU0011J.JPG
24.Nb6 Re8 25.Ned5 e4 26.Nd7+ Kg8 27.N7f6+ Rxf6 28.Nxf6+ Qxf6
YFU0011K.JPG
コンピュータによると白が2点くらい良く勝勢と言ってよい局面です。しかしここからが上杉くんのすごいところで白に容易に決め手を与えません。
29.Qd7 Re6 30.Qxc6 f3 31.g3 Qf5 32.Qc8+ Kh7
YFU0011L.JPG
33.Kh1 b4 34.Rad1 e3 35.fxe3 Qc2 36.Rg1 Rh6
YFU0011M.JPG
37.h4 オンライン観戦者の中のあるGMだったかIMだったかがこの手は黒から ...Rxh4+ と切られる手があるのでかえって危ない、こういうところは 37.h3 と受けるものだとコメントしていました。恐らく白は 37.h3 だとクイーンが c8-h3 の筋から離れることができないので 37.h4 を選んだと思われますがすぐにその欠陥を咎められます。 この悪手で形勢が入れ替わりました。37...f2 38.Qg4 38.Rgf1 と逃げると 38...Qe4+ 39.Kh2 Rxh4+ 40.gxh4 Be5+ 41.Kh3 Qf3# で頓死してしまいます。 38...fxg1=Q+ 39.Rxg1 bxc3 40.bxc3 Rf6
YFU0011N.JPG
41.Rg2 Qc1+ 42.Kh2 Qxe3 43.c4 Qe6 44.Qh5+ Rh6 45.Qe2 Be5
YFU0011O.JPG
46.Qe4+ Kg7 47.Qb7+ Qf7 48.Qe4 Rg6 49.c5 Qe7 50.Qc4 dxc5
YFU0011P.JPG
51.Kh3 Qe6+ 52.Qxe6 Rxe6 53.Re2 Kf7 54.Kg4 Rg6+ 55.Kf5 Bxg3
YFU0011Q.JPG
56.h5 Rf6+ 57.Kg4 Bf4 58.Rb2 Kg7 59.Rb7+ Kh6 60.Rb2 Be5 61.Re2 Rf4+
YFU0011R.JPG
62.Kh3 Rf5 63.Kg4 Rxh5 64.Kf3 Rg5 65.Ke4 Bd4 66.Kd3 Rg6 67.Kc4 Kg5
YFU0011S.JPG
68.Kd5 Kf4 69.Re7 Rg2 70.Rf7+ Ke3 71.a3 Ra2 72.Rh7 Kd3 73.Rh3+ Be3 白投了
YFU0011T.JPG
初勝利でチームの勝利にも貢献しました。

チェス世界選手権争奪史(136)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 しかし競技会は10選手による2回戦総当たりで予定どおり始まった。第1巡ではボレスラフスキーとケレスが1位争いを繰り広げブロンシュテインとスミスロフがすぐ続いた。新顔のうちアレクサンドル・コトフが最も苦闘しているようだった。早い回戦で二つの名局の犠牲になった。最初はブロンシュテイン戦。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 ブロンシュテイン
黒 コトフ

1.d4 d5 2.c4 e6 3.Nc3 c6 4.e4 dxe4
YFMF136A.JPG
5.Nxe4 Bb4+ 6.Bd2 Qxd4 7.Bxb4 Qxe4+ 8.Be2 Na6
YFMF136B.JPG
9.Bc3 Ne7 10.Bxg7 Rg8 11.Bc3 Qxg2 12.Qd2 Qxh1
YFMF136C.JPG
13.O-O-O Nd5 14.Nf3 Qxd1+ 15.Bxd1 Nxc3 16.Qxc3 Ke7
YFMF136D.JPG
17.Ne5 Bd7 18.Qa3+ c5 19.Qf3 Rad8 20.Qxf7+ Kd6
YFMF136E.JPG
21.Qf4 Rdf8 22.Nf7+ Ke7 23.Bh5 Bc6 24.Qd6+ Kf6
YFMF136F.JPG
25.Nh6 Rg1+ 26.Kd2 Kg7 27.Ng4 Rxg4 28.Qe7+ Kh6
YFMF136G.JPG
29.Bxg4 Rxf2+ 30.Ke3 Rf1 31.h4 Kg6 32.Bh5+ 黒投了
YFMF136H.JPG

(この章続く)

2009年12月29日

チェス世界選手権争奪史(135)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 キエフ生まれのブロンシュテインは最も最初のチェスの手ほどきを地元の少年宮で受け着実に上達した。1940年にはウクライナ選手権戦でボレスラフスキーに次いで2位に入った。彼の最初の大きな活躍は1946年のモスクワ選手権戦の優勝だった。同じ年に第14回全ソ連選手権戦で3位になった。1948年には第16回全ソ連選手権戦でコトフと共に同点優勝した。

 ブロンシュテインは既に活発な、時に奇異な想像力を持ち接近戦の才能の豊かな選手であることを示していた。しかしインターゾーナル期間中はのちにしばしば彼に欠けているもの-危機に際しての冷静な頭-があることが明らかになった。サルツファバーデンで最も大変だったのはタルタコワとの対局中に頭のおかしい男が彼めがけて観戦者の中から乱入してきた時だった。暴漢が取り押さえられて静粛さが戻った時ブロンシュテインは目前の問題に復帰し相手を難なくやっつけた。

 1950年春にブダペストで開催された初めての挑戦者決定競技会は始まる前からトラブルに見舞われた。シード選手の中でスミスロフとケレスだけが参加できた。エーべは教職のため休暇が取れず招待を辞退せざるを得なかった。米国人のファインとレシェフスキーは米国国務省がハンガリーへの旅行を禁止していたため行けなかった。いわゆる冷たい戦争は当時すでに本格化していて、米国チェス連盟が必死で政府に働きかけたにもかかわらず禁止は変わらなかった。土壇場でボンダレフスキーが病気のため参加できなくなった。

(この章続く)

2009年12月28日

チェス500名局(118)

******************************

第1部 開放型

第5章 ルイ・ロペス

第118局

白 カパブランカ
黒 ブラックバーン
(サンクトペテルブルク、1914年)

 黒は素通しのg列の危険性を軽視していた。そして必要な援軍を送ることが間に合わなくなった。

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 Nd4

Y091228A.JPG

 これが「バード防御」で、多くの攻撃的な選手に受けている。白は細心の注意を払って指さなければならない。

4.Nxd4

 黒の二重ポーンにつけこもうとするこの単純な応手の他に 4.Bc4 と下がるのも柔軟で良い手である。

4...exd4 5.O-O

Y091228B.JPG

5...g6

 5...Bc5 6.d3 Ne7 7.Nd2 O-O という手順もある。

6.d3 Bg7 7.Nd2 Ne7 8.f4

Y091228C.JPG

8...c6

 黒は明らかに攻勢を意図している観点から 8...a6 に大切な「一手」を費やすのを節約した。

9.Bc4 d5

Y091228D.JPG

10.Bb3

 まず 10.exd5 とポーン交換して黒に楽をさせるよりもこの手の方が気が利いている。

10...O-O 11.Nf3 c5 12.e5 b5

Y091228E.JPG

 このポーン襲撃に対して白は極度の冷静さが必要である。

13.c3 c4 14.Bc2 dxc3 15.bxc3 Qa5

Y091228F.JPG

 このクイーンがそっぽへ行ったのは余計なことだった。

16.Bd2 Bg4 17.d4

Y091228G.JPG

 白は見事な連鎖ポーンをこしらえた。

17...Qb6 18.Rb1

 主導権は今や白の手中にある。

18...a6

 18...a5 では 19.a4 とやって来られる。

19.h3 Bf5 20.g4 Bxc2 21.Qxc2

Y091228H.JPG

21...f5

 黒は来るべき猛襲を食い止めようとしている。例えば 21...Qe6 では 22.Ng5 で白に怒涛の 23.f5 突きをなおさら厳しくさせてしまう。

22.Kh2

 これで白の準備が整った。

22...Nc6

 またしても守り駒が重要な方面から去った。22...Kh8 の方が役に立つ手だった。

23.Rg1

Y091228I.JPG

23...Nd8

 黒は 23...Ra7 で自陣の横筋に利かしている方が良かった。

24.gxf5 Rxf5

 24...gxf5 なら 25.Nh4 Qe6 26.Rg5 で白の勝ちになる。

25.Nh4 Rh5

 25...Rf7 と引くなら 26.f5 である。

26.Nxg6

Y091228J.JPG

 捨て駒で囲いを崩した。

26...hxg6

 黒は取るしかない。26...Qe6 は 27.f5 Rxf5 28.Qxf5 で白の勝ちである。

27.Rxg6

Y091228K.JPG

27...Qb8

 この手は 28.Rbg1 に対して 28...Ra7 と応じられるようにするためであるが、白は決め手の強襲の機が熟したことをこれから見せつける。黒は 27...Qc7 とした方が少しだけ防御の可能性が高かった。

28.Rxg7+

 「もう一度突破口へ・・・」[訳注 再度城門に攻撃をかける兵士の士気を鼓舞するヘンリー王の有名な言葉]

28...Kxg7 29.Rg1+ Kf8 30.Qg6

 これが「とどめの一撃」である。

30...Rxh3+

 これは嫌がらせのチェックである。

31.Kxh3 黒投了

Y091228L.JPG

******************************

チェス世界選手権争奪史(134)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 彼はさらに続けて書いている。「これらの練習試合は布局の体系を試すだけでなく他の点でも訓練となるように徹底しなければならない。」彼は長年の間自らいろいろな条件のもとでラゴージンとのそのような練習試合を行なった。ラジオを鳴らして大会会場の騒音に耐えられるようにしたり、ラゴージンに葉巻を吸わせて自分の顔に煙を吹きかけさせたりした。チェスの試合の準備をすることは戦闘の準備をすることだった。そして戦いを企てる時には正当だろうと不当だろうと敵の用いようとするかもしれないあらゆる手段を見逃さないようにしなければならないのである。

 しかし世界選手権競技会のあとは最大の戦いに勝利したことによりボトビニクはしばらくの間栄光にひたっていられた。その間に最初の挑戦者を選出するために新しく構成された手続きが実行に移された。1946年スイスで開催されたFIDE総会で世界選手権のための定期的で組織的な競技会の原則が規定された。世界が8ゾーンに区分された(西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、ソ連、カナダ、米国、中央アメリカ、南アメリカおよび南洋州(オーストラリアとその付近の南洋諸島の総称))。その仕組みは、その名もぴったりのインターゾーナルと呼ばれる競技会へ参加するいく人かの代表(人数はそのゾーンの選手の強さによって決められる)を各ゾーンで選ぶ競技会を開催する。それからインターゾーナルでの上位選手といろいろな理由でシードされた他の選手とから成る別の競技会を開催し、世界チャンピオンと番勝負を戦う一人の挑戦者を最終的に選出する。これらすべてで約3年を要する。

 しかし当時いくつかのゾーンのチェス組織は貧弱だった。南洋州では存在しないのも同然だった。他の長い歴史を誇る組織でも資金不足に悩まされていた。そのため1948年夏にスウェーデンのサルツファバーデンに集まった参加者の中には二つのゾーン(中央アメリカと南洋州)からの代表がいなかったし他のゾーンも割り当てより少ない代表を送った。そのような中でソ連はもちろん全員そろってやって来て大会をほとんど完全に独占した。優勝者は意外にも24歳のダビッド・ブロンシュテインだった。13½-5½の成績で2位のハンガリーのラスロ・サボに1点差をつけ同国人のボレスラフスキー(12点)、コトフ(11½点)、リリエンタール(11点)、ボンダレフスキーおよびフロール(10½点でアルゼンチンのナイドルフとスウェーデンのストールベルクと共に6-9位)にさらに差をつけた。

(この章続く)

2009年12月27日

チェス世界選手権争奪史(133)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 エーべはミハイル・ボトビニクを「チェス史上最も自在なチャンピオン」と呼び彼の棋風について次のように思慮に富んだ分析を行なっている。

 『ほとんどの選手は難解な局面に不安を感じるがボトビニクは楽しんでいるように見える。・・・そこでは危険があちこちに潜みちょっとした気の緩みも破局に至る。鋼鉄の意志と張り詰めた集中力が要求される局面-そのような局面こそボトビニクの本領が発揮されるところである。・・・彼の攻撃にとりかかるやり方は非常に特徴的である。彼がどう見ても守勢にいるように思われる時に断固問題の打開を図り長手順の手筋を併用することもよくある。まったく突然彼が攻撃側に立ち、それも支配者のようになっている。このような突然の立場の交替は彼の試合の特徴で、局面全体が一瞬で変わってしまう。』[エーべ著『名人たちの対決』]

 しかし彼の人柄についてはあまり述べることができない。世界選手権を保持した人間の割には最も私生活が知られていない。彼についての語り伝えるに値するような逸話は何もなくスキャンダルがないのも当然のことである。彼の人生は多忙で大成功を収めたと考えられる。電気技師としての経歴では高い能力を発揮し政府から一度ならず表彰された。そしてチェスでは高い知性と厳格な手法でより一層大きな業績を果たした。彼は他のソ連選手のために自分のチェスの訓練方法について一度ならず詳細に説明した。しかしボトビニク流の訓練方法をまねることは比較的易しいけれども、彼が自分に課した一途さを見習うことは最も献身的な者以外誰もできないように思われた。彼のやり方の一部は肉体運動-いろいろな戸外スポーツ-を実際のチェスの研究-布局定跡の分析、対戦予定の相手の試合の分析など-と組み合わせることと練習試合の計画から成っていた。

 『これで計画が完成した。しかしそれだけでは十分でない。それらのうちのいくつかは-無条件に確信していないだろうが-練習試合で試してみるべきである。もちろんそれらの試合は誰にも口外しない仲間と対局しなければならない。さもないと対戦相手みんなが自分と同様に熟知してしまい、布局研究が無駄になってしまう。』[ミハイル・ボトビニク著『精選100局』]

(この章続く)

2009年12月26日

チェス世界選手権争奪史(132)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 この試合の後レシェフスキー、スミスロフおよびケレスがみな7½点で並んだ。しかし第19回戦でレシェフスキーがボトビニクに負けスミスロフがエーべに勝ったのでスミスロフが単独2位になった。次の回はスミスロフが手空き番で、その第20回戦でレシェフスキーがエーべを破ったので二人が並んだ。一方ケレスはボトビニクに4連敗目を喫した。これで第4巡が終わって成績はボトビニク12点(そして称号確定にあと½点に迫った)、レシェフスキーとスミスロフが8½点、ケレスが7½点、エーべが3½点だった。

 第21回戦でスミスロフ対レシェフスキー戦が引き分けになり、3連敗中のケレスが立ち直ってエーべを倒した。これでケレスが2位に½点差に迫った。第22回戦で新世界チャンピオンが誕生した。ボトビニクが14手でエーべと引き分け、拍子抜けのような公式の栄冠だった。彼の優勝は第1巡から確実視されていたとおりだった。2位争いはスポーツの興味をいくらかこの競技会に持たせていたが進展があった。ケレス対スミスロフの激闘が引き分けに終わりスミスロフが競争相手にひとまず1½点差をつけた。

 第23回戦でスミスロフがボトビニクと非常に穏やかに引き分け、レシェフスキーはスミスロフと少しだけ穏やかでなく引き分けた。念願をかなえあまり戦う気のなさそうなボトビニクは第24回戦でレシェフスキー相手の白番で4ナイト試合を用いた。しかし並行して対局中のスミスロフがエーべに勝ちそうになっているのを知ったレシェフスキーは指し過ぎて負けた。これでスミスロフの2位が決まった。

 同じ得点のレシェフスキーとケレスは最終戦で共に勝った。レシェフスキーはお決まりのやり方でエーべを下した。エーべは競技会が終わりになるだけでも嬉しかったに違いない。そしてケレスは生まれて初めてボトビニクに勝った。最終結果はボトビニク14点、スミスロフ11点、レシェフスキーとケレス10½点、エーべ4点だった。

(この章続く)

2009年12月25日

1月10日に「中将棋」全国大会

Oさんは参加するのかな?

http://sankei.jp.msn.com/culture/shogi/091225/shg0912251003000-n1.htm

 第6回中将棋全国大会が1月10日、関西将棋会館で行われる。駒を46枚ずつ使用する中将棋の名人をかけたAクラス(定員8人)と初心者から中級者のBクラスがある。参加費は2000円、中学生以下1000円。

 問い合わせは中将棋連盟TEL06・6772・6393。

「ヒカルのチェス」(156)

「64」2009年8月号(1/2)

******************************

米国選手権戦

GMアレクサンドル・オニシュク

Y091225B.JPG
入賞者たち-ヒカル・ナカムラ、ロバート・ヘス、アレクサンドル・オニシュク

 ・・・ヒカル・ナカムラは最終3試合でハットトリックすることができて、当然ながら9試合で7点をあげて優勝した。優勝は4年ぶりで、21歳でもう米国選手権を2回獲得した。

 選手権戦の前に彼はもちろん優勝候補の一人だった。いつも大きな玉にきずは不安定なことだがこの大会は攻撃も防御も同じくらいみごとで、非常に落ち着いて指していた。これから彼の代表的な2局をお目にかける。

白 A.オニシュク
黒 H.ナカムラ

Y091225C.JPG

 しっかりした陣形と双ビショップのため形勢は白がはっきり優勢である。ルークを交換すれば勝勢に近い局面になると読んでいた。

25.Bd5 Ra4

Y091225D.JPG

26.f4!?

 26.f3! Nc5(26...Ng5 27.f4)27.Ra1 なら目的にかなっていて 27...Rb4 は 28.Bc3 Rxb5 29.Bc4 でだめである。

26...g6 27.Ra1 Rb4!

Y091225E.JPG

 この手が最も可能性がある。

28.Ba3 Ra4 29.Bxe4 Rxe4 30.Be7 Kg7

Y091225F.JPG

 意外な手だったがこの局面ではわずかな優勢以外に白には何もない。

31.Bf6+

 次のように交換得することはできるが勝ちに結びつけることはできないように思われた。31.Ra3 Rxf4 32.Bf6+ Rxf6 33.exf6+ Kxf6 派手な手の 31.g4 も 31...Ne6 32.g5 f5! で実戦と似たような局面になってしのがれる。

31...Kh6

Y091225G.JPG

32.Bg5+

 32.Ra3 には信じられないが 32...Kh5 という手がありキングが難を逃れる。以下は 33.Bg5 h6 34.Be7 Nd7 35.Rd3 Nc5 36.h3 g5 37.Bxc5 bxc5 38.Rd7 Rxf4 39.Rxc7 Rb4 40.Rxc5
Y091225H.JPG
となってまだ白が優勢だがたぶん勝つには至らないだろう。

32...Kg7 33.Bf6+ Kh6 34.Bg5+ Kg7 35.Ra3 f5

Y091225I.JPG

36.exf6+e.p. Kf7 37.Rd3 Rc4 38.g4 Rc5 39.Bh6 Ne6

Y091225J.JPG

40.g5 Ke8 41.Re3 Kf7 42.Rd3 Ke8 43.Re3

Y091225K.JPG

 合意の引き分けになった。収局での受けが見事だった。特筆すべきはヒカルがこれらの強手を全部信じられないような速さでやってのけたということである。

******************************

(この号続く)

チェス世界選手権争奪史(131)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 この間にボトビニクは同じ回戦でエーべと引き分け世界選手権に向けて順調だった。しかし第18回戦のスミスロフ戦では優勢をものにしようと80手もの間頑張ったが徒労に終わった。

 この第18回戦ではレシェフスキーが最高の状態に戻り今度は急に勢いを失ったケレスと対戦した。

ルイロペス
白 ケレス
黒 レシェフスキー

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 Nf6 5.O-O Nxe4 6.d4 b5 7.Bb3 d5 8.dxe5 Be6 9.Qe2
YFMF131A.JPG
(9.c3 の方が普通だが本譜の手はこの大会の試合の結果しばらくの間非常にはやった。)9...Nc5(エーべは本局より前のケレス戦で 9...Be7 と指したが 10.Rd1 O-O 11.c4 bxc4 12.Bxc4 Bc5 13.Be3 Bxe3 14.Qxe3 Qb8 15.Bb3 Na5 16.Nbd2 Nxd2 17.Rxd2
YFMF131B.JPG
で白が少し優勢になった。)10.Rd1
YFMF131C.JPG
10...Nxb3(レシェフスキーは第21回戦のスミスロフ戦で 10...b4 と指したが 11.Be3 Nxb3 12.axb3 Qc8 13.c4 dxc4 14.bxc4 h6 15.Nbd2 Be7 16.Nb3 O-O 17.Bc5!
YFMF131D.JPG
と進んであまり良くなかった。)11.axb3 Qc8
YFMF131E.JPG
12.Bg5(スミスロフは次の回戦でエーべに対し 12.c4 と指し 12...dxc4 13.bxc4 Bxc4 14.Qe4 Ne7 15.Na3 c6 16.Nxc4 bxc4 17.Qxc4
YFMF131F.JPG
と進んで圧倒的に優勢になった。黒は 12...Nb4! と指すべきだった。)12...h6 13.Bh4 Bc5 14.Nc3 g5 15.Bg3 Qb7 16.Nxd5 O-O-O!
YFMF131G.JPG
17.Nf6 g4 18.Ne1 Nd4 19.Qf1 h5 20.Bf4 h4 21.Be3 h3
YFMF131H.JPG
22.Rd2 hxg2 23.Qxg2 Nf3+ 24.Nxf3 Bxe3 25.Rxd8+ Rxd8
YFMF131I.JPG
26.Ne1?(26.fxe3!)26...Bd4 27.Nd3 Bf5 28.Re1 a5 29.Ne4 Kb8 30.b4 a4
YFMF131J.JPG
31.c3(31.Nec5!)31...Bxe4 32.Rxe4 Bxc3
YFMF131K.JPG
33.Re3(33.bxc3 Rxd3 34.Qxg4 Rd1+ 35.Qxd1 Qxe4+ -/+)33...Qxg2+ 34.Kxg2 Rxd3!
YFMF131L.JPG
35.Rxd3 Bxb2 36.Rd5 c6 37.Rd8+ Kc7 38.Ra8 Kb7 39.Rf8 Bxe5 40.Rxf7+ Kb6 41.f4 白投了
YFMF131M.JPG

(この章続く)

2009年12月24日

チェス世界選手権争奪史(130)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 これらの意外な結果によってレシェフスキーがまたスミスロフと並びケレスがボトビニクにわずか1½点差に迫った。しかし次の回戦で最上位の二人が対戦しボトビニクが勝った。その試合はルーク+ポーンの長い収局で恐らくケレスは引き分けの機会を逃がしていた。レシェフスキーは明らかに前局の快挙で憔悴していてエーべと気のない引き分けに終わった。第3巡を終わったところでの成績はボトビニク9点、ケレス6½点、レシェフスキー6点、スミスロフ5½点、エーべ3点だった。これで焦点は2位争いに移った。

 第16回戦でスミスロフ対レシェフスキー戦は引き分けになりケレスはエーべを負かした。これでケレスが二人のライバルを一時的に1点引き離した。しかしスミスロフは第17回戦でケレスに快勝して足止めを食わせた。

クイーン翼ギャンビット拒否
白 スミスロフ
黒 ケレス

1.d4 d5 2.c4 e6 3.Nc3 Nf6 4.Bg5 c6 5.e3 Nbd7
YFMF130A.JPG
6.cxd5 exd5 7.Bd3 Be7 8.Nf3 O-O 9.Qc2 Re8 10.O-O Nf8
YFMF130B.JPG
11.Rab1 Ng6 12.b4 Bd6 13.b5 Bd7 14.bxc6 Bxc6 15.Qb3 Be7
YFMF130C.JPG
16.Bxf6 Bxf6 17.Bb5 Qd6 18.Rfc1 h5 19.Ne2 h4 20.Bxc6 bxc6
YFMF130D.JPG
21.Qa4 Ne7 22.Rb7 a5 23.h3 Reb8 24.Rcb1 Rxb7 25.Rxb7 c5
YFMF130E.JPG
26.Rb5 cxd4 27.Nexd4 Rc8 28.Nb3 Bc3 29.Qxh4 Rc4 30.g4 a4
YFMF130F.JPG
31.Nbd4 Bxd4 32.Nxd4 Qe5 33.Nf3 Qd6 34.Ra5 Rc8 35.Rxa4 Ng6
YFMF130G.JPG
36.Qh5 Qf6 37.Qf5 Qc6 38.Ra7 Rf8 39.Rd7 d4 40.Rxd4 Ra8 41.a4 黒投了
YFMF130H.JPG

(この章続く)

2009年12月23日

上杉晋作くんのUSCLかく戦えり(2/7)

YFU0010A.JPG
(写真はすべて上杉くんのお母さんの撮影)

YFU0010B.JPG

YFU0010C.JPG

第2局(対フィラデルフィア・インベンターズ戦)
イギリス布局 [A30]
白 FM上杉晋作(2354)
黒 FMトム・バーテル(2411)
2009年9月14日

1.Nf3 Nf6 2.c4 c5 3.Nc3 b6 4.g3 Bb7 5.Bg2 e6
YFU0010D.JPG
6.O-O Be7 7.d4 cxd4 8.Qxd4 d6 9.Rd1 a6
YFU0010E.JPG
10.b3 Nbd7 11.Bb2 O-O 12.Ng5 Bxg2 13.Kxg2 Qc7
YFU0010F.JPG
14.f3 Qb7 15.Rab1 Rfd8 16.Qf4 b5 17.Nce4 h6
YFU0010G.JPG
18.Nxf6+ Nxf6 19.Ne4 Nxe4 20.Qxe4 Qxe4 21.fxe4 bxc4
YFU0010H.JPG
22.bxc4 e5 23.Ba3 Rac8 24.Rbc1 Kf8 25.Kf3 Ke8
YFU0010I.JPG
26.e3 Rc6 27.Ke2 Rdc8 28.Kd3 R6c7 29.Rc3 h5 1/2-1/2
YFU0010J.JPG

レイティング上位者と引き分けて上杉くんが初の得点(½点)をあげました。

チェス世界選手権争奪史(129)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 第13回戦でボトビニクはスミスロフをケレスはレシェフスキーをどちらも黒番で破った。ボトビニクは1½点差をつけ安泰のように思われた。ケレス、スミスロフおよびレシェフスキーは互角の2位争いをしているように見えた。そしてエーべはもちろん最下位まっしぐらだった。対ボトビニク戦でレシェフスキーだけがまともに張り合うことができていた。負けた試合では途中では勝っていたし、引き分けの試合もずっと優勢だった。第14回戦の対局はレシェフスキーの生涯最高の試合になった。そして突然ボトビニクはもはや他の選手より飛び抜けた存在でなく、やはり人の子で追いつけそうに思われた。

ニムゾインディアン防御
白 ボトビニク
黒 レシェフスキー

1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.e3 c5 5.a3

YFMF129A.JPG

 当時ボトビニクが得意にしていた戦型の一つのゼーミッシュ戦法に移行した。

5...Bxc3+ 6.bxc3 Nc6 7.Bd3 O-O 8.Ne2

YFMF129B.JPG

8...b6

 レシェフスキーが 8...d6 と指せば(125)のボトビニク対ケレス戦の解説で触れたAVRO大会でのボトビニク対ケレス戦に移行したかもしれない。その手の意図は 9.e4 に対して 9...e5 で対抗することである。本譜の手は異なった作戦の始まりである。

9.e4

YFMF129C.JPG

9...Ne8

 この手は 10.Bg5 を防ぐためと f4 に ...f5 と応じるために必要である。元々の構想は次のカパブランカの試合に由来する。1.d4 Nf6 2.c4 e6 3.Nc3 Bb4 4.e3 O-O 5.Bd3 c5 6.Ne2 Nc6 7.a3 Bxc3+ 8.bxc3 b6 9.O-O Ba6 10.e4 Ne8
YFMF129D.JPG
ヨーナー対カパブランカ、カールスバート、1929年

10.Be3

YFMF129E.JPG

10...d6

 黒はこの手を指さずに 10...Ba6 を指せるならその方が良い。d6の地点はあとでe8のナイトにとって好所となるかもしれない(後に出てくる1956年アムステルダムでの挑戦者決定競技会におけるゲレル対スミスロフ戦を参照されたい)。

YFMF129F.JPG

11.O-O

 ここでは 11.Ng3! の方が強い手である。11...Qd7 12.O-O Ba6 13.f4 f5 14.Qa4! fxe4 15.Bxe4 Bb7 16.d5 +/=
YFMF129G.JPG
ゲレル対フルマン、第21回全ソ連選手権戦、1954年

11...Na5 12.Ng3 Ba6 13.Qe2 Qd7 14.f4 f5

YFMF129H.JPG

 黒が好調である。

15.Rae1

 白の16手目を見ればこの手を批判しないわけにはいかない。ルークがe1にいると白は次のような手筋による仕掛けを狙うことができる。16.d5 g6 17.dxe6 Qxe6 18.exf5 gxf5 19.Nxf5!
YFMF129I.JPG
19...Rxf5 20.Qf3! Bb7 21.Qh3 Ng7 22.Bd4
YFMF129J.JPG
これで白が勝つ[訳注 22...Qf7 で黒が優勢のようです]。この手順中もう一つのルークがf1にいることが役立っている。しかし問題は黒が次の単純な手でこの狙いをかわしe1のルークを無用にしてしまうことである。白の16手目に対して評者が単に「ルークの位置の誤り」と解説するのは明らかに的外れである。真実はこのような局面で白がすべての状況に対応するためには3個のルークが欲しいということである。

15...g6

YFMF129K.JPG

16.Rd1

 ここで 16.d5 と突いても 16...Ng7 =/+ と応じられる。実戦の手を3千人の観戦者の前で指すのは大変な勇気のいることだった。

16...Qf7

 16...Qa4 には 17.d5 と突かれる。

17.e5

YFMF129L.JPG

 このポーン突きも批判された。しかし 17...Rc8 に 18.Rc1 を強制されるよりはどんな手でもまだましである。

17...Rc8 18.Rfe1

YFMF129M.JPG

18...dxe5

 18...cxd4 と取るのは 19.Bxd4 Nxc4(19...Bxc4 20.exd6 Nxd6 21.Qe5 +-)20.exd6 Nexd6 21.Qxe6 Qxe6 22.Rxe6 Nb2 23.Bxa6 Nxd1 24.Rxd6
YFMF129N.JPG
で白が勝つ。

19.dxe5 Ng7 20.Nf1 Rfd8 21.Bf2 Nh5

YFMF129O.JPG

22.Bg3 Qe8 23.Ne3 Qa4 24.Qa2 Nxg3 25.hxg3 h5!

YFMF129P.JPG

 白の反撃を封じ込めた。

26.Be2

 次のほぼ一本道の長手順は黒がポーン得になる。26.Bc2 Bxc4 27.Bxa4 Bxa2 28.Bd7 Rb8 29.Rd6 Kf7 30.c4 Ke7
YFMF129Q.JPG
31.Red1 Nxc4 32.Rxe6+ Kf7 33.Rf6+ Kg7 34.Nxc4 Bxc4 35.Rdd6 Bf7
YFMF129R.JPG

26...Kf7 27.Kf2 Qb3 28.Qxb3 Nxb3

YFMF129S.JPG

29.Bd3

 この手は ...Nd2 から ...Ne4+ という手を防いだ。代わりに 29.Nf1 でも黒は本譜と同じように指す。

29...Ke7 30.Ke2 Na5 31.Rd2 Rc7

YFMF129T.JPG

 両選手ともここらあたりではまた時間に追われていた。ボトビニクとの以前の試合のことが全く脳裏に浮かばなかったならばレシェフスキーは人間ではないだろう。しかしこの試合での彼の指し回しは特に勝負どころではいくらほめてもほめきれない。

32.g4

 これは 32...hxg4 に 33.Rh1 を用意したシャレた手である。レシェフスキーは無視した。

32...Rcd7! 33.gxf5

 黒から 33...Bxc4 を狙われているので明らかに 33.g5 としている暇はない。

33...gxf5

YFMF129U.JPG

34.Red1

 34.Rdd1 は 34...Nb3 35.Rh1 Kf7 36.Rhg1(36.Rxh5 Rxd3)36...h4 37.Rh1 Bb7 38.Rhg1 Kg6 39.Rh1 h3!
YFMF129V.JPG
で黒が勝つ(40.Rxh3 にはまだ 40...Rxd3 がある)。

34...h4

 これで白は手詰まり状態である。

35.Ke1

 他のどの駒を動かしても 35...Bxc4 と取られる。35.a4 と突くのは 35...Kf7 で白が困ったままである。

35...Nb3

YFMF129W.JPG

 これで少なくとも黒の交換得になる。次の捨て駒は破れかぶれである。

36.Nd5+

 もう見込みがない。しかし 36.Rb2 でも 36...Rxd3 37.Rxd3 Rxd3 38.Ke2 Nc1+ で駒損に終わる。

36...exd5 37.Bxf5 Nxd2 38.Rxd2 dxc4 39.Bxd7 Rxd7 40.Rf2 Ke6 41.Rf3 Rd3 42.Ke2 白投了

YFMF129X.JPG

そして同じ回戦でエーべがスミスロフを下しこの競技会で唯一の勝ち星をあげた。

(この章続く)

2009年12月22日

チェス世界選手権争奪史(128)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 そして次の回戦ではボトビニクがまたエーべを鮮やかに討ち取った。大喜びのロシア人たちでも元世界チャンピオンの悲惨な成績にはきっと少し心を痛めたのではなかろうか?

クイーン翼ギャンビット拒否
白 ボトビニク
黒 エーべ

1.d4 d5 2.Nf3 Nf6 3.c4 e6 4.Nc3 c6 5.e3 Nbd7 6.Bd3
YFMF128A.JPG
6...dxc4(これより前にエーべはロミ防御-6...Bb4 7.a3 Ba5 8.Qc2 Qe7 9.Bd2 dxc4 10.Bxc4 e5-をボトビニクとレシェフスキーに対して用いてどちらも惨敗を喫していた。)7.Bxc4 b5 8.Bd3
YFMF128B.JPG
8...a6(ベント・ラルセンは現代ではこの戦法を用いる唯一の世界選手権挑戦候補だが普通は 8...Bb7 と指している。一例をあげると 8...Bb7 9.e4 b4 10.Na4 c5 11.e5 Nd5
YFMF128C.JPG
12.Nxc5 Bxc5 13.dxc5 Nxc5 14.Bb5+ Kf8 15.Qd4 Qb6 16.Be2 h6
YFMF128D.JPG
17.O-O g6 18.Bd2 Kg7 19.Rac1 Rac8 20.Qh4? g5! =/+
YFMF128E.JPG
イフコフ対ラルセン、挑戦者決定番勝負、1965年)9.e4 c5
YFMF128F.JPG
10.e5(10.d5!? e5 11.b3! c4 12.bxc4 Bb4 13.Bb2! bxc4 14.Bc2 Qa5 15.Qd2 O-O 16.O-O +/=
YFMF128G.JPG
10...cxd4 11.Nxb5 axb5 12.exf6 Qb6 13.fxg7 Bxg7 14.O-O
YFMF128H.JPG
14...Nc5(14...O-O 15.Qe2 Nc5 16.Bxh7+ Kxh7 17.Ng5+ Kg6 18.Qg4 f5 19.Qg3
YFMF128I.JPG
19...Kf6? 20.Bf4! Ke7 21.Rac1 Ra7 22.Rfe1 Bd7 23.b4 Na6 24.Nxe6! +-
YFMF128J.JPG
コットナウアー対コトフ、プラハ、1946年。しかしロシア側の分析によると 19...Rf7 20.Bf4 e5 21.Nxf7+ Kxf7 22.Bxe5 Qg6! =
YFMF128K.JPG
15.Bf4 Bb7 16.Re1
YFMF128L.JPG
16...Rd8(16...Nxd3! 17.Qxd3 Bxf3 18.Qxf3 O-O =)17.Rc1 Rd5 18.Be5
YFMF128M.JPG
18...Bxe5(18...O-O 19.Bxg7! Kxg7 20.Ne5
YFMF128N.JPG
(狙いは 21.Rxc5 Qxc5 22.Qg4+ Kh8 23.Qh5)20...Nxd3 21.Qxd3 Kh8 22.Qf3 f6 23.Qf4
YFMF128O.JPG
白優勢)19.Rxe5 Rxe5 20.Nxe5 Nxd3 21.Qxd3 f6
YFMF128P.JPG
22.Qg3! fxe5 23.Qg7 Rf8 24.Rc7
YFMF128Q.JPG
24...Qxc7(24...Qd6 25.Rxb7 d3 26.Ra7 Qd8 27.Qxe5 +-)25.Qxc7 Bd5 26.Qxe5 d3 27.Qe3 Bc4
YFMF128R.JPG
28.b3 Rf7 29.f3 Rd7 30.Qd2 e5 31.bxc4 bxc4
YFMF128S.JPG
32.Kf2 Kf7 33.Ke3 Ke6 34.Qb4 Rc7 35.Kd2 Rc6 36.a4 黒投了
YFMF128T.JPG

 第12回戦のもう一局のケレス対スミスロフは引き分けだった。

(この章続く)

2009年12月21日

チェス500名局(117)

******************************

第1部 開放型

第5章 ルイ・ロペス

第117局

白 ピルズベリー
黒 タラシュ
(モンテカルロ、1903年)

 本局は優勝候補同士の注目の一戦だった。誰もが予想する慎重な滑り出しの代わりに両選手とも用心をかなぐり捨てて最初から乱戦に終始した。その中で最後に笑ったのは黒だった。

 「巨人の対決」という名に恥じず本局は白が駒損してからも果てしない長手数の雄々しい防御を見せた。

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 f5 4.Nc3

Y091221A.JPG

 この手は最も理にかなった応手で、冷静かつ積極的でもある。

4...Nf6

 この手は中原で争う意志である。これに対して 4...fxe4 5.Nxe4 は中原での足場を失い敵駒が盤の中央に居座る。1932年ルートビッヒスハーフェンでのブリンクマン対キーニンガー戦は 4...fxe4 5.Nxe4 のあと次のように続いた。5...Nf6(5...d5 なら 6.Nxe5)6.Nxf6+ gxf6 7.d4 e4 8.Ng5(8.Nh4 なら 8...Qe7)8...Bb4+(枡を空けるためのチェック)9.c3 fxg5(9...O-O の方が良い)10.Qh5+ Kf8 11.Bxg5(決め手)11...Ne7 12.Bc4 d5 13.Bxd5 黒投了
Y091221B.JPG

5.exf5

 5.Qe2 は 5...Nd4 で混戦になるので劣る。

Y091221C.JPG

5...e4

 このポーンをめぐって接近戦が行なわれる。一貫性に劣るのは 5...Bc5 6.O-O O-O 7.Nxe5 Nxe5 8.d4 で、白が圧倒的な態勢になる。

6.Qe2

 白は 6.Ng5 d5 7.d3 Bxf5 8.dxe4 dxe4 9.Qe2 と指し進めれば黒のeポーンを包囲するかあるいは土台を崩すことさえできた。

6...Qe7

 黒はすぐに重要なe列に陣取った。こうしないで 6...d5 は 7.d3 で白がe列で解体作業に取り掛かることができる。

Y091221D.JPG

7.Bxc6

 この手は必要である。というのはすぐに 7.Ng5(または 7.Nh4)と指すと 7...Nd4 とされるからである。

7...bxc6 8.Nh4 d5 9.d4 a5

Y091221E.JPG

 この手はポーン損を補うためにクイーン翼ビショップを活躍させる準備である。

10.Bg5 Ba6

 当然の行動である。

11.Bxf6 Qxf6 12.Qh5+ Kd7

Y091221F.JPG

 黒は臆病風に吹かれて 12...Qf7 と指すのではなく勝負をかけなければならない。

13.Ng6

 しかし白も同様に展開を犠牲にして怪しい戦力得のコースを取らなければならない。実際次の手順にはほとんど魅力がない。13.O-O-O Be7 14.g3 Qg5+ 15.Qxg5 Bxg5+ 16.Kb1 Raf8 17.Rdg1 Rhg8
Y091221G.JPG
これで黒はポーンを取り返す用意ができている。

13...Qxd4

 13...Rg8 には 14.Ne5+ があるので本譜の手は必然である。

14.Nxh8

 白は当分の間ルークの丸得だが自分のキングは苦境に立たされる。

14...Bc5 15.Qh4 Rxh8 16.Rd1

Y091221H.JPG

16...Qb4

 この手は 16...Qc4 や 16...Qe5 よりも効果的である。

17.Qg4

 この反撃は非常に有望である。17.Qxe4 は 17...Re8 があるのでだめである。

17...Kd8 18.Qxg7 Re8 19.Qf6+ Kd7 20.a3

Y091221I.JPG

20...Qb6

 20...Qxb2 は 21.Nxd5 ではまりである。

21.Rd2

 21.Kd2 には 21...Bd4 がある。

21...e3 22.fxe3 Bxe3

Y091221J.JPG

23.Nxd5

 23.Kd1 なら 23...Qxb2 である。危険の迫っている白は交換損を返すだけでなく駒損も甘受することにした。

23...Bxd2+ 24.Kxd2 Qf2+

Y091221K.JPG

25.Kd1

 25.Kc1 は 25...Re1+ 26.Rxe1 Qxe1# で簡単に詰まされる。

25...Qe2+

 この中間のチェックは必要である。黒はビショップに紐をつけてからナイトを取る。

26.Kc1 cxd5 27.Rd1 c6 28.Qh4 Qxg2

Y091221L.JPG

29.Qxh7+ Re7 30.Qh4 Qe4 31.Qh8 Qxf5 32.Qa8 Bc8

Y091221M.JPG

33.Qa7+ Ke8 34.Qxa5 Qf4+ 35.Kb1 Qxh2 36.Qc5

Y091221N.JPG

 白はビショップの代わりに1ポーンを得ているだけだが敵ポーンの数を減らして黒の優勢を無力にしたがっている。

36...Bb7 37.b4 Qe2 38.Rh1 Rf7 39.Rh8+ Kd7

Y091221O.JPG

40.Rh6 Rf1+ 41.Kb2 Qe7 42.Qd4 Re1 43.Rh5

Y091221P.JPG

 この手は 43...Qe5 でクイーンを交換されるのを防ぐためである。

43...Kc7 44.Qf4+ Kb6 45.Qd4+ c5

Y091221Q.JPG

 この手の効果は白の三連ポーンが離散することに表れる。

46.bxc5+ Qxc5 47.Rh6+ Bc6 48.Qf6 Qb5+ 49.Kc3 Qc4+ 50.Kb2 Qb5+ 51.Kc3 Qc4+ 52.Kb2 Qb5+ 53.Kc3

Y091221R.JPG

 手を繰り返したのは時間を稼ぐためである。千日手による引き分けの規定は当時まだなかった。

53...Re3+ 54.Kd2 Re2+ 55.Kd1 Re8 56.Kd2 Qe2+ 57.Kc1 Qe1+ 58.Kb2 Qe5+

Y091221S.JPG

 ようやくクイーン交換が実現して黒は重要な一歩前進を果たした。

59.Qxe5 Rxe5 60.Rh4

 この手は 61.c4 で黒の最後のポーンを消去しようとしている。そうなれば「規則」引き分けが濃厚になる。

60...Re4 61.Rh8 Kc5 62.Rc8 Re8

Y091221T.JPG

63.Rc7 Kd6 64.Rh7 Bb5 65.Kc3 Ba4 66.Rh2 Re4

Y091221U.JPG

67.Rg2 Kc5 68.Rh2 Re3+ 69.Kb2 Bb5 70.Rh8 Re2

Y091221V.JPG

71.Rc8+ Kd4 72.Kb3 Bc4+ 73.Kb2 Bd3 74.Kb3 Bf5 75.Rc7 Re8

Y091221W.JPG

76.c3+

 黒が非常に苦労して実現させたこのポーンの前進は白の兵力の結合性を減少させる。代わりに 76.Kb2 なら 76...Rc8 である。

76...Kd3 77.Rc5 Rb8+ 78.Ka4 Be4 79.Rc7 Kc2 80.Rc6

Y091221X.JPG

80...Bd3

 黒は 80...d4 と指すよりも組織的に指し進めている。

81.Rc5 Bc4 82.Ka5 Kxc3 83.a4

Y091221Y.JPG

 これは最後のお願いである。83...Kd4 84.Rxd5+ Kxd5(84...Bxd5 でなく)と指してくれるならステイルメイトになる。

83...Ra8+ 白投了

******************************

チェス世界選手権争奪史(127)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 ロシア国境での税関役員とまたもやもめたが再びボトビニクがモスクワに電話してすぐに解決し一行はモスクワに到着した。そしてサール・ド・コローヌで4月11日から試合が再開された。観戦者はハーグよりもはるかに多かった。そして二人のロシア人の勝利で報われた。スミスロフがレシェフスキーに勝ちケレスがエーべを華々しく仕留めた。

ルイロペス
白 エーべ
黒 ケレス

1.e4 e5 2.Nf3 Nc6 3.Bb5 a6 4.Ba4 d6 5.c3 f5
YFMF127A.JPG
(いわゆる「シエスタ防御」)6.exf5 Bxf5
YFMF127B.JPG
7.d4(代わりの 7.O-O の方がいつもよく指されているがそのあと 7...Bd3 8.Re1 Be7 9.Re3 e4 10.Ne1 Bg5! 11.Rh3
YFMF127C.JPG
となってほとんど乱戦である。)7...e4 8.Ng5 d5 9.f3
YFMF127D.JPG
9...e3!?(9...exf3 10.O-O! +/=; 9...h6 10.fxe4 hxg5 11.exf5 +/=)
YFMF127E.JPG
10.f4(10.Bxe3 h6 11.Nh3 Bxh3 12.gxh3 Bd6 =/+ スミスロフ対ゴルトベルク、モスクワ、1945年)10...Bd6
YFMF127F.JPG
11.Qf3(11.Qh5+ !-この手の意味はg6の地点に黒のポーンかビショップを来させてナイトがそこに来れなくするためである-11...g6 12.Qf3 Qf6 13.Qxe3+ Nge7 14.O-O
YFMF127G.JPG
または 11...Bg6 12.Qf3 Qf6 13.Qxe3+ Nge7 14.Qe6
YFMF127H.JPG
どちらも白が実戦より良い。)11...Qf6 12.Qxe3+ Nge7
YFMF127I.JPG
13.Bxc6+ ?(13.O-O O-O 14.Nf3 Bxb1 15.Rxb1 Qg6 16.Bd2 Rxf4 =/+
YFMF127J.JPG
13...bxc6 14.O-O O-O
YFMF127K.JPG
15.Nd2?(15.Nf3 Bxb1 16.Rxb1 Qg6 17.Bd2 Rxf4 =/+)15...Ng6 16.g3 Rae8 -/+
YFMF127L.JPG
17.Qf2 Bd3 18.Re1 Rxe1+ 19.Qxe1 Bxf4!
YFMF127M.JPG
20.gxf4 Nxf4 21.Ndf3 Ne2+ 22.Kg2 h6!
YFMF127N.JPG
23.Qd2 Qf5 24.Qe3 hxg5 25.Bd2 Be4 黒投了
YFMF127O.JPG

(この章続く)

2009年12月20日

チェス世界選手権争奪史(126)

第6章 1948年の世界選手権競技会(続き)

 レシェフスキーは第10回戦でエーべと引き分けてさらに少し後退した。第2巡のあとの成績はボトビニク6点、レシェフスキー4½点、ケレスとスミスロフ4点、エーべ1½点だった。

 大会(もちろん一群の人間と荷物の意味で)はそれからモスクワに移動したが混乱した当時にあっては困難の付きまとった旅だった。一行がポーランドの国境にさしかかったところでオランダの一団がポーランドのビザを持っていないことが判明した。ハリー・ゴロンベックは次のように記述している。

 『通過させて欲しいという要請がそのあたりの国境を管理しているポーランドの将軍に行なわれた。しかし彼は誰も許可なくポーランドの国境を通過した者はまだいない(最近の歴史を簡単に忘れている)、だから必要なビザを持っているロシア人たちは通過してよいがオランダ人たちは留まらなければならないと厳格に答えた。

 ボトビニクが真価を発揮したのはこの時だった。彼はモスクワに電話して事情を説明した。モスクワはポーランドの将軍に折り返し電話した。そして一行全員がビザがあろうとなかろうと通過することができた。』[ハリー・ゴロンベック著『1948年チェス世界選手権戦』]

(この章続く)